大阪在住通信インフラ社員のあれこれ

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「働かなアカンで」


皆さんは印象に残っている言葉はありますか?

 

私は、この「働かなアカンで」という言葉が印象に残っている言葉の1つです。

父方の祖父の兄弟に言われました。

 

 

祖父の兄弟の話の前に、私の祖父は私が20歳の時に亡くなりました。思春期というか、父方の実家のほうがあまり好きではなく、顔を全く出していませんでした。祖父のことは嫌いでもなんでもなく、むしろ私の立場に立っていつも考えてくれていたので、好きなほうでした。

 

 

祖父は、脳の病気で長く入院していました。リハビリもたくさん頑張っていましたし、父親の実家の面々が長く介護していたことを覚えています。百姓をやっていたので体格が良く、介護の世話も大変だったと聞いています。脳の病気だったので病床で突然暴れることもあったそうで、その時は手足をベットに紐で括り付けられて暴れないように固定されていました。そうでないと、看護婦さんを傷つけてしまう可能性や、自分自身で傷つけてしまうからです。

 

 

祖父の病床へあまり顔を出さなかったのは、そういう祖父の状態をあまり見たくなかった、ということもありました。できれば、いつも私に寄り添って優しく笑ってくれている記憶のままが良かったのです。

 

 

ある日、父親が「お見舞いに行こう」というので仕方なく行くことにしました。もう、断る言い訳も底をつきてきたのです。夕方からアルバイトがあるのでその時間までに行くことにしました。久しぶりに会った祖父は今までの面影もなく、言葉を発することもできなくなっていました。しんどいはずなのに、久しぶりに会った私の顔を見て手を挙げてくれました。

そして、その日のアルバイト中に父親から連絡があり亡くなった、と言われました。なんだか、私が会いに来るまで「死ねない」と思っていたんじゃないか、とすら思えました。さっき会った人が亡くなった実感が湧きませんでした。

 

 

それからしばらく経ち、祖父の兄弟も体調が悪くなってきたので、父親から「お見舞いに行こう」と言われました。祖父の兄弟のおっちゃんは、私の祖父が亡くなってからよく会うようになり「仕事はどうや?」「今どこまで働きに行ってんや(勤務地の話)」と日ごろから仕事のことを聞いてくれました。そして毎回話の最後には「やっぱりな、働かなアカンで」と付け加えるのです。

その時は、自分が仕事をしているという”当たり前”のことを言われていることに、違和感を覚えました。おっちゃんが亡くなった後、なぜかその「働かなアカンで」という言葉だけが私の中に残っています。

 

 

祖父やおっちゃんらが若い時は、たくさん働いていたのかもしれません。そんな話を聞く機会もなかったのですが。

今回休職することになった時、この言葉に”背いてしまっている”気持ちになりました。”働く”という行動に対して、指一本ぶら下がっていた状態から落ちてしまったような気分です。

自分の中で大事にしていた言葉ではありませんが、生活をしていく中で1番大事になってくる”働く”ということに対して、考えさせられる言葉になりました。

 

 

家事や育児も、ある意味”働く”ということになりえるのでは、と思っています。そこに給料という対価が発生することはないかもしれませんが、これも”働く”ということになるのであれば、人間皆働いているのかもしれません。

 

 

今は仕事をする状況にはありませんが、家事や育児でも何らか”働く”ようにしたいと思います。

 

 

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